◆今日は何の日?◆
「ベルサイユのバラ」が連載開始
(1972)
ベルサイユのバラ
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引用開始〜
『ベルサイユのばら』は池田理代子の漫画作品。通称「ベルばら」。フランス革命前から革命前期を舞台に、近衛将校である男装の麗人オスカルとフランス王妃マリー・アントワネットらの人生を描く、史実を基にしたフィクション作品。ベルサイユとはヴェルサイユ宮殿のこと。
あらすじ:
1755年12月25日、フランス王国の軍人貴族であるジャルジェ家に1人の女児が生まれた。当主であるレニエ・ド・ジャルジェ将軍には5人の娘がいたが家督を相続すべき息子を持っておらず、その誕生を心待ちにしていたが、またもや生まれたのは女児であり、将軍は、姉妹の中で一番美しく生まれた彼女に「オスカル・フランソワ」という男性名を付け、息子として育てて後継者とすることにした。オスカルは以後、男性として、また、軍人として厳しく育てられることとなる。同年11月2日、後にフランス国王ルイ16世の王妃となるオーストリア皇女マリー・アントワネット・ジョセファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・オートリッシュがオーストリア女帝マリア・テレジアとその夫神聖ローマ皇帝フランツ1世の11女としてウィーンに生まれる。アントワネットはウィーン・シェーンブルン宮殿において兄姉と共にのびのびとした子供時代を過ごした。当時のオーストリアは、伝統的な外交関係を転換してフランスとの同盟関係を深めようとしており、その一環として母マリア・テレジアは、アントワネットとフランス国王ルイ15世の孫ルイ・オーギュスト(のちのルイ16世)との政略結婚を画策していた。1770年5月16日、アントワネットと王太子となっていたルイとの結婚式がヴェルサイユ宮殿にて挙行され、彼女はフランス王太子妃となった。このとき近衛連隊長付大尉となっていたオスカル・フランソワと出会う。オスカルの美貌と誠実さを好ましく思ったアントワネットは、以後オスカルを心を許した忠臣として寵愛する。
1774年5月10日、ルイ15世が天然痘で死去。アントワネットの夫である王太子ルイが即位してルイ16世となり、彼女はフランス王妃となる。アントワネットの推挙によりオスカルも若くして近衛連隊長に、階級も大尉から一気には大佐となる。
オスカルはそれをかさに着ることなく、アントワネットに良い王妃となるよう度々進言するが、アントワネットはオスカルの言葉の真意を理解することが出来ず、「自分が幸せであれば国民も幸せである」と考え、国民の税金を自らの奢侈な服飾品や賭博、気に入りの取り巻きであるポリニャック伯夫人への著しい財政の援助等につぎこみ、、王妃の浪費は国家財政を圧迫するようになる。しかしそれは異国の宮廷で衆人環視の中独りぼっちであり、夫ルイ16世の身体上欠陥から母になることもできないアントワネットの寂しさが原因であり、それを知るオスカルは苦悩する。
そんな折、アントワネットが王太子妃時代に知り合い、ひそかに想い合っていたスウェーデン貴族フェルゼンがアメリカ独立戦争より帰還。彼は以後、アントワネットの傍らに寄り添うようになる。オスカルも人知れずフェルゼンの事を愛していたが、アントワネットとフェルゼンが愛し合っており、更には秘めた想いをフェルゼン本人に悟られてしまった事から身をひく。そして、自分を幼い時からずっと見守ってきてくれた幼馴染で従卒のアンドレ・グランディエが自分に寄せている愛に気づくようになり、次第に彼に心惹かれていく。一方、ロベスピエールやミラボー伯など進歩的政治家らに接し、さらに民衆の窮乏を自分の目で確かめたオスカルは、次第に貴族中心の社会に疑問を持つようになる。そのころパリでは、苦しい生活に耐えかねた民衆がアントワネットや彼女の取り巻きの貴族たちに憎悪を向けるようになるが、彼女は自分に向けられた民衆の目が厳しいものになっていることを手遅れになるまで気づかなかった。
そんな不穏な情勢の中、オスカルはアンドレと愛し合うようになるが、歴史の流れは、オスカルとアンドレ、そしてアントワネットとフェルゼンを過酷な運命へと巻き込んでいく……。
〜引用終了
◆今日の誕生日の有名人◆
梨花【タレント】 1973年5月21日
久留須 ゆみ【タレント】1976年5月21日
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