2008年05月27日

★東京美術倶楽部★いっこく 堂★ダイエット

☆5月27☆

◆今日は何の日?◆


東京美術倶楽部で日本初の美術オークションが行われる
(1969)


東京美術倶楽部
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引用開始〜
日本の美術商:
日本での美術商の起源は江戸時代に遡る。茶道具や書画骨董の知識に秀でたものが大名などに誘われ専属の美術商となったほか、書画を扱う書画屋、浮世絵を扱う浮世絵屋、その他武具や古道具を扱う道具屋などと呼ばれる者が江戸や上方その他大都市などで営業していた。
こうした道具屋には明治に入り、廃仏毀釈や廃藩置県で疲弊した寺院や大名家から流出した美術品を買い集めジャポニズムに沸く欧米へ輸出し、にわかに巨万の富を得た者もいた。こうした美術品輸出を見て、美術品の制作と輸出を外貨獲得や一等文明国家のイメージ作りに生かそうとするグループがあった。画家・彫刻家をはじめ、佐野常民や大蔵省・内務省などの官僚、輸出美術商が集まり1878年に結成された美術団体「龍池会」である。
佐野は機関誌で、美術の奨励者(役人)・制作者(美術家)・販売者(美術商)・嗜好者(コレクターや観客)の4つが美術振興に肝要と説き、龍池会に美術商を入れた。後に宮内省や皇族の力も得て「日本美術協会」と改称される頃には多くの美術商・道具屋がメンバーに加わり同時代美術や古美術の販売を行った。ここから日本最古の美術商組織、「東京美術倶楽部」が1907年に誕生したと思われるが、その詳しい経緯は不明である。震災・戦災による資料の喪失や、戦後になって日本美術協会が皇族の力の喪失とともに弱体化したこと、龍池会に対抗してアーネスト・フェノロサや文部省官僚らが主導して革新派の美術家を集め発足した美術団体「鑑画会」が後に日本美術の主流になったことから龍池会側の関係者が忘却されたためと見られる。
日本の美術商は数も増え勢力を増し、大正、昭和初期という激変の時代、時代についてゆけず没落した旧公家や旧大名家が放出する美術品・工芸品の大入札で札元を務め巨額の手数料を手に入れたほか、新興財閥や華族から商人までさまざまな人々に出入りし美術品を売っていった。風呂敷に美術品を入れて金持ちの間を行商して回った「風呂敷画商」という人々もいたが、自前の店(画廊)を持って作品を見せる美術商も増えた。
また百貨店も、呉服の意匠製作などを通じて関係のあった美術家たちやその団体に発表の場を提供して、美術館のなかった時代に作品発表の場として機能した。百貨店やその顧客にとって、こうした団体や美術家の作品は、贋作の恐れのある古美術とは違い存命作家の作品であるため、安心して取引・購入できることも大きな利点であった。百貨店の美術部は現在に至るまで美術家とのつながりを維持し、また自社に多くのコレクションを抱えている。
今日、日本画や洋画など画壇の確立した分野では先輩作家の紹介などによりこうした美術商を通じた販売が比較的ある反面、現代美術の場合は美術商が未発達なため、美術家は貸し画廊で発表し自分のつてで売ったり、作品販売でなく他の職業で生活することが多い。もっとも1990年代以降、現代美術でもギャラリスト的な「企画画廊」が増え、若手作家を積極的に海外のアートフェアに出展している。またバブル後の不況を経て、古美術・日本画・洋画・現代美術と立場を超えて協力し美術品のファン、購入者を増やそうという動きもあり、日本でも「アートフェア東京」など、本格的なアートフェアを志向するフェアがいくつか立ち上がっている。

東京美術倶楽部:
明治40年4月 株式会社 東京美術倶楽部 設立

明治維新後、暫くの間衰微していた美術品の取引が、明治の中頃になり漸く活発になり始めました。明治25年、星ヶ岡茶寮で入札会が大々的に行われ、その後も、同所や日本橋の福井楼、両国の中村楼、上野の桜雲台、松源楼、伊香保の料亭などを会場として使用しておりましたが、貸会場での美術品売買に不便を感じ、両国河畔の料亭伊勢平楼(旧中村楼)が売りに出されたのを機に、美術商の専用建物とする為買い取り、株式会社東京美術倶楽部が設立されました

大正12年9月 関東大震災により全焼
その後、服部金太郎氏邸跡(旧柳生但馬守上屋敷跡)に移転しました。

昭和12年11月 鉄筋コンクリート造3階建の社屋が新築落成
昭和18年 3月 海軍監督官事務所として徴用、仮事務所に移転。
しかし、戦時中も戦火を免れ、戦後の美術業界の拠点として、その発展に大いに寄与することが出来ました。
平成3年12月 東京美術倶楽部ビルディング竣工
50年を経過し、社会の急速な進歩発展に伴い、3階建の建物にては万事に不都合を生じるようになってきたため、昭和63年を以て旧建物は取り壊し、地下1階、地上12階建の「東美ビル」が装いも新たに竣工、現在に至っております。
新旧文化・芸術の殿堂として、各方面より熱い期待が寄せられています。

〜引用終了

◆今日の誕生日の有名人◆

いっこく 堂【腹話術師】   1963年5月27日
柳沢 敦  【サッカー】   1977年5月27日


◆今日の一品◆

ダイエット!どんっ(衝撃)



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2008年05月23日

★雲仙普賢岳★川島隆太★ダミーカメラ

☆5月23日☆

◆今日は何の日?◆


長崎・雲仙普賢岳が活動、
火山に溶岩ドームが出現
(1991)


雲仙普賢岳
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引用開始〜
主峰は普賢岳(ふげんだけ)で、標高は1,359mである。現在では、1990年から1995年にかけての火山活動で形成された平成新山(へいせいしんざん)の方が高く1,482.7mとなっている。この平成新山は長崎県で最も高い山となっている。古くは『肥前国風土記』で「高来峰」と呼ばれているのがこの山であり、温泉についての記述がある。雲仙はもとは「温泉」と表記され「うんぜん」と読ませていたが、国立公園指定の際に現在の表記に改められた。701年(大宝元年)に行基が大乗院満明寺を開いたことが伝えられている。この満明寺の号が「温泉(うんぜん)山」である。以後、雲仙では霊山として山岳信仰(修験道)が栄えた。
また、行基は同時に四面宮(温泉神社)を開いたといわれている。祭神は、『古事記』にて筑紫島をあらわす一身四面の神である。この神社は上古には温泉神社、中古には四面宮と称されていたが、1869年(明治2年)の神社改正により筑紫国魂神社と改称され、1915年(大正4年)の県社昇格に際して温泉神社に戻した。島原半島中に10数の分社がある。
雲仙温泉としては、1653年(承応2年)に加藤善右衛門が開湯した延暦湯が始まりといわれている。水蒸気が噴出して硫黄(実際は硫化水素)の臭いがたちこめる光景が「地獄」と形容される。キリシタン弾圧の舞台にもなった。天気のいい日には、佐賀県南部、福岡県南部の筑紫平野の、見通しのいい箇所で確認できる。

噴火活動:
現在の平成新山を形成した噴火活動は1989年の橘湾群発地震より開始された。1990年11月17日に噴火し、それ以降噴煙活動が観測された。最初の噴火は大規模なものではなく、12月には小康状態になって道路の通行止めなども解除になり、そのまま終息するかと思われたが、1991年2月12日に再噴火、さらに4月3日、4月9日と噴火の規模を拡大していった。5月15日には降り積もった火山灰などによる最初の土石流が発生、さらに山に多数の亀裂が入り、粘性の高い溶岩により溶岩ドームが形成され、崩壊が始まったことが確認され、事態は一気に深刻化した。溶岩ドームの崩壊は、噴火活動の中で新しく供給されるマグマに破壊されることにより発生し、破片が火山ガスとともに山体を時速100kmものスピードで流れ下る火砕流と呼ばれる現象を引き起こした。噴火活動は途中一時的な休止をはさみつつ1995年3月ごろまで継続した。火砕流が世界で初めて鮮明な映像として記録された火山としても有名である。

〜引用終了

◆今日の誕生日の有名人◆

川島 隆太【学者】      1959年5月23日
ルーベンス=バリチェロ
【レーシングドライバー】   1972年5月23日


◆今日の一品◆

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2008年05月22日

★三浦雄一郎★大竹まこと★ダミーカメラ

☆5月22日☆

◆今日は何の日?◆


三浦雄一郎が70歳でエベレスト登頂し成功し
世界最高齢登頂記録を更新
(2003)


三浦雄一郎
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引用開始〜
三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 - )は、青森県青森市生まれのプロスキーヤー及び登山家である。
父三浦敬三も著名な山岳スキーヤーで、長男・三浦雄大は競技スキーヤー、二男・三浦豪太はリレハンメルオリンピック、長野オリンピック出場フリースタイルスキー・モーグル選手。
旧制黒沢尻中学校(現岩手県立黒沢尻北高等学校)に入学、その後青森県立弘前高等学校に転校し卒業、北海道大学獣医学部に進学。母校の北大獣医学部に助手として勤務後、1960年代からプロスキーヤーとして活躍、1964年7月イタリアで開催されたキロメーターランセに日本人で初めて参加、時速172.084キロの当時世界新記録を樹立。1966年4月富士山直滑降、1970年5月エベレストのサウスコル8000m地点からの滑降(ギネスブックに掲載)など世界七大陸最高峰からの滑降を成し遂げた。
2003年5月22日、世界最高峰のエベレストに世界最高齢(ギネスブックに掲載)となる70歳7か月での登頂を果たす。同時に二男・豪太との日本人初の親子同時登頂も遂げた。
1971年スポーツ英雄大賞(スペイン)、1975年に米アカデミー賞(長編記録映画部門)=「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」。1992年4月からクラーク記念国際高等学校(北海道深川市納内)校長。2006年6月からNPOグローバル・スポーツ・アライアンス理事長。

〜引用終了

◆今日の誕生日の有名人◆

大竹まこと【タレント】    1949年5月22日
ナオミ=キャンベル【モデル】 1970年5月22日


◆今日の一品◆

セキュリティ対策に!むかっ(怒り)


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